無いなら作ろう、子どもが主体の自由な学校②

私たちは去年から、自由な学校「自然スクールそらもり」を作ろうと準備を進めています。

「自然スクールそらもり」とは、登校・不登校に限らず誰でも通えるフリースクールです。

海外ではオルタナティブスクール(もう一つの学校)と呼ばれていて、従来の画一的な教育ではなく、個人を尊重し子どもが本来持っている探求心に基づいて、自律的・主体的に学べる学校です。

大人は教師ではなく、あくまでも子どもをサポートするスタッフという考えが根底にあります。

大人も子どももフラットな関係(仲間意識)で心を通わせ、上下関係(指示されて従う)もありません。

なのでお互いが名前やニックネームなど好きな呼ばれ方で接します。

ここには深い理由があります。

今までの教育は、先生(大人)が生徒(子ども)に説教や指示をする上下関係があり、

学校も施設も会社も、社会自体がピラミッド社会で成り立ち現代文明が繁栄しているように思えます。

でも何かが違うと気づいている人たちは多く、環境破壊、異常気象、いつまでも無くならない戦争、それに、不審死を含めると自殺者数ワーストの日本。

学校が始まる9月1日に子どもの自殺が一番多いこと等々…

そんなこんなで行きつくとこまで行った文明も、そろそろ折り返し地点ということで、今様々な事が見直されてきています。

そこで、かつての日本に、戦争も武器も無い平和な時代が1万年以上続いていたことが分かり、その時代は縄文時代とよばれ、上下関係ではなく横繋がりの和の円形社会で、子どもや障がい者を真ん中に置いて大事にしていたことが遺跡などからも明らかになっています。

国の王がいてもそれは役職名であり、権力が一番上ということでは無く、役柄の違いであって、あらゆる個性の人や国同士が横に繋がって運営される連合国だった。

この上下関係より横繋がりの関係の方が平和で他者のために貢献しあう社会になることは「嫌われる勇気」の書籍で有名な「アドラー心理学」でも説明されています。

そんなこんなで、ここでは大人も子どもも横繋がりの仲間であることが根底にあり、大人の指示に子どもが従うべきでもなく、子どもよりも大人の方が賢いのでもない。

むしろ色んな可能性を秘めた、子どもが本来持っている力の自然な発露を大人が邪魔しないことの方が重要であり難しい事なので、それらができていない等の結果、

子ども達の自己肯定感の低下や不登校やいじめなどの現状があるとも思っています。

大人と子どもがお互いフラットな関係で、好きな呼ばれ方で接することの理由は、戦争の無い平和な社会になることに繋がっているから。

そして、ここの大人達はみんなどこまでも子どもの味方だよ!ということを伝えたいからです。